なぜ百姓は「百姓」と呼ばれるのか?非農耕民的な視点
読者は読み終える頃には、「百姓」という言葉が元来「さまざまな姓でよばれたこと」 を意味していた事が、いかに重要な意味を持っているか理解される筈だ。 この本に限らず、著者の論考の面白さを理解するには、中世学説史に多少予備知識が 必要かもしれない。従来、中世史学は(粗く言えば)社会経済論的な観点から中世社会の構造を分析してきた、という点にあると理解している。 肝要な点は、その努力が主に2つの道具を用いて積み重ねられてきたことにあると思う。 一つは、農耕と土地をベースに社会のありかたを理解しようとする「農耕史観」、 もうひとつは、「原始共産制→奴隷制→封建制…」という発展段階図式に代表される 西洋流歴史観。道具建ての改良等はあっても、粗く言えばこの2つを使っての格闘で ある点は間違いなかろうかと思う。 そこで抽出されたのは「領主に強制的に隷属させられ搾取される農耕民」というイメージ。 田ト、名主、在地領主、あるいは、下司、公文…。様々な階層が発生していき、支配関 係のレイヤや、支配強度の緩急があろうとも、大まかなスキームは同じ(怒られるかも)。 著者は、百姓=農耕だけをする者ではないこと、義務(納税・労役)さえ果たせば、移動 の自由も保障されていた自由度をもっていたこと。農耕のみの自給自足的な生活では なく、「商品」を生み出し交易・交換を前提に生活を営む多面性を持っていたこと。 さらに、神人、車借といった、百姓の枠からもはみ出す、「職能」=「聖なるもの」に 連なる職能民の世界を強調することで、農耕・定住的見方に対する聖性・交通的見方を 提示する。「無縁」の概念もそういった背景から提出されている。 民俗学での常民(柳田)に対する異人(岡正雄)、あるいは、山口昌男の「中心と周縁」 との親近性を思わせる。
平凡社
中世の非人と遊女 (講談社学術文庫) 中世再考 (講談社学術文庫) 異形の王権 (平凡社ライブラリー) 無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150)) 東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)
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